それがあまりにおかしくて、俺は笑わずにいられなかった。
「女の子と付き合うってどうするの!?」
弟が、帰ってくるなり赤い顔でそう聞いてきたのだ。唖然としたのは一瞬。
これが笑わずにいられるだろうか!
「ぶふっ」
遠慮なく噴き出した俺を弟が睨みつける。でもそんなのは全く怖くないわけで、笑いが治まるはずもなく。
「っ僕、真剣に聞いてるんだけど!!」
「だっておま、あっは、そんなの、あはははったぁ!」
弟の投げた鞄が頭に直撃する。普通の学生らしく軽い鞄の威力は強くなく、俺の笑いを治めるには至らない。
「……お前に相談した僕が馬鹿だった」
どうやらこの弟にしては珍しいことに本気で怒っているらしい。滅多に聞くことのない冷えた声に免じて、鞄をぶつけたのは許してやることにする。
「わかった、悪かった、ごめんって! まぁ落ち着いて、座れよ、な?」
弟の腕を掴んで強引に座らせ、その正面に自分も座る。弟は不機嫌な表情のまま俺から目を逸らす。
五つ年の離れた弟とは、仲が良くも悪くもないごく普通の兄弟だ、と俺は思っている。そういった場合に年上のほうが強いのはよくあることで、弟はあまり顔を合わせたくないらしい。中学生の弟とは違い、気まますぎる大学生の俺は生活時間がだらしなく、部屋が別々なこともあって実際に顔を合わせる機会は少ない。
その弟が学校から帰ってくるなり俺の部屋に直行してくるなんて、しかも開口一番があの台詞、少々気弱で奥手の弟から持ちかけられた恋愛話なんて、どこをどう考えても有り得ない! だから驚いたって仕方がないのだ。
「で、どうしたよ。彼女でも出来たのか?」
話の流れとして自然とそう口にした。
弟は、俯いたまま頭をふらふらと揺らし、十分過ぎるほど取られた沈黙に大丈夫かと問おうとしたところで、
「……うん」
ぽつりと、肯定の言葉を吐いたのだった。
この現実を理解するのに数秒を要する。
「えっ、マジで! 初彼女!? ちょっ、母さん赤飯!!」
思わずドアへ駆け寄ろうとしたところで襟首を掴まれ、そのまま容赦なくぐいぐいと引っ張られた。息が詰まる。
「絞めんぞお前……」
「いや絞まってるそこそこ絞まってるからね!?」
情けなくも詫びを入れて何とか解放された俺は、大人しく元の場所に戻り再び弟と向き合って座る。
「いやー、お兄ちゃんびっくりし過ぎてテンパっちゃったよ」
「……」
機嫌を取るようにあははと笑うと、弟は疲れた顔で溜息を吐いた。これは真面目に相手した方がいいな。
「つまり彼女が出来たものの初めてでどうしたらいいんだか教えを乞おうというわけだな」
少々わざとらしいが強引に話を進めると、弟は黙ったままこくりと頷く。確かに俺は幾らか経験を積んでいるが。
「やー、どうしたらって言ってもな。そんな難しく考えなくても普通にすれば?」
もっと具体的な相談ならともかく、付き合うこと自体をどうしたら、なんて答えようがない。
「普通って……それが分かんないから聞いてるのに」
弟は困ったように眉を落とし、縋るように俺を見上げる。こんな顔で頼られるのはいつ以来か、兄として何とかしてやりたい気分になってきた。
「彼女、どんな子?」
「え……」
「その子のタイプによってもいろいろ変わってくると思うけど」
もうちょっとアドバイスでも出来ないかと、少し聞いてみることにする。弟は挙動不審に視線をきょろきょろと彷徨わせて、しばらくの間の後、ぼそりと呟いたそれは、俺も知る少女の名前だった。
「っはあ!? えええぇ!?」
「馬鹿! 声でかいよ!」
思わず絶叫した俺を弟が慌てて諌める。これが叫ばずにいられるか!
確かに弟と彼女は幼馴染という間柄だが、そんなに近しい関係ではなかったはずだ。顔を合わせれば挨拶を、時間があれば日常会話を、その程度でしかない俺と彼女の関係と、そうそう差はないという認識だったのに。
どこをどうすればそんな急展開になるの!?
「ずるい! 何でお前ばっかり!」
素直に叫ぶと弟は心底呆れた口調で言い返す。
「さんざんとっかえひっかえしてるくせによく言う……」
「そういう問題じゃないやい! つか、とっかえひっかえもしてないし!」
“幼馴染”というキーワードで自動的に思い浮かぶ顔。俺の幼馴染であるその女のことを思い出すと、何とも言えない複雑な心境に陥る。
「幼馴染でラブラブなんて幻想だって信じてたのに……っ」
思わずそう呟くと、弟は完全に引いた顔で俺を見た。
幼馴染を思い浮かべる。最後に会話をしたのはいつだったか。いや、それはそれで仕方ないし、別にラブラブになりたいわけじゃなくて、けど、俺としてはもっと、ただ普通に――
――久しぶりに連絡でもしてみようか。
不意に思いついたそれは以外と名案な気がした。尚更に楽しくなってきて、思わずにやりと笑った。