捕らえられてまだ、そこから動き出せない。
『我ら、共にこの中立の地インシグニスに立ち、共に宣言する。
強大な力を正しき知で制し、この大地を守り永久を歩むと誓う。
これより四日間、共に過ごすことで其れを証明する』
中立の地での両国王の協議がついに始まった。
両国の間に何かあればそれが開戦の切欠になりかねない、"世界が最も緊張する四日間"と密かに言われるこの協議。
インシグニスとは元は古代遺跡の呼び名だ。協議の間滞在することになる館はその遺跡の中央部分に当たる一部を修繕、改装して造られている。最中央に協議場が、そこから左右に翼が生えるようにして対の館が立っている。片側の館がセイファーナ用、もう片側の館がシセイ用という訳だ。
協議場には向かい合うように扉が二つあり、両方の扉を同時に開いて、片側からはセイファーナの代表者達が、もう片側からはシセイの代表者達が同時に入室する。そして協議場の中央で国王達は向かい合って立ち、セイファーナ国王ガルディバールは杖を、シセイ国王コウドは剣を、掲げ合わせ声を揃えて宣誓をするのだ。
意味を持たない言葉の羅列を、さも本物のように声高に。
宣誓を守るつもりなどどちらも毛頭無いくせに。互いの手の内を探りながら嘘と建前が飛び交う協議の日。
馬鹿らしい。ウルはひっそりと溜息をついた。何だか悪意が満ち満ちていて目眩がしそうだ。
宣誓が終わるとそれぞれが用意された席に着く。王を中心に、その両脇に側近――秘書官と護衛官が一人ずつ、背後に六人の代表者達が半円を描くように。
「今年は偶数年ですので、こちらから始めさせて頂きます」
口を開いたのはセイファーナの秘書官。
国王から側近、そして代表者と順番に紹介されていくのを半分以上聞き流しながら、ウルはその様子をぼんやり見ていた。服装も随分違うんだな、とか、あの装飾に特別な力が籠められていたりするのだろうか、とか。炎を自在に操り、物質を特殊なものへと変化させ、何もないところから白鳥を呼び出して見せる……これが魔法。初めて目にするそれに新鮮な驚きを抱くものの、それを顔に出すことは許されない。
紹介されている人物から視線を外すと、相手側で自分と同じ末席に座っている人と目が合った。
セイファーナは年功序列色が強いのだろうその中で、ただ一人随分と若いその人。多分自分と同じ年頃なのではないだろうか彼は、じっとこちらを見返してくる。敵意があるわけではない、ただ自分を量ろうとするような強い視線。
思いがけないことに一瞬戸惑ってしまったものの、何とか冷静な仮面をつけた。
――俺は何も感じない、適切な答えを返すだけの冷たいヒトガタ。
いつものように心の中で繰り返し言い聞かす。
「そして最後に魔法を披露いたしますは、今年六翼になったばかりの青年、シオン・アブリールにございます」
青年を呼んだその声でやっと視線が逸れ、ウルは内心でほっとする。彼の真っ直ぐな目は、心の中を暴いてしまいそうだと思った。
青年は嫌そうに溜息をついてから、一歩前に出て杖を構える。青い光で陣が描かれると、協議場には氷片が舞った。
確かに人は避けているけれどこれは流石にたまらない、周囲からは短い悲鳴が上がる。今までとは比べ物にならない凄まじい魔法に、両国の秘書官が制止の声を上げた。
「シオン!シオン・アブリール!止めなさい!!」
「いい加減止めさせないか!」
青年は二人の秘書官を一瞥してから魔法を消し、何事もなかったかのように自分の席へ着く。非難の声を聞く気はないらしい、騒然となっているのをセイファーナの秘書官が必死になだめているというのに、本人はまったくお構いなしだ。
青年が席に着く瞬間にまた目が合う。彼はにやりと笑って見せて、ウルは心臓を掴まれたようにどきりとした。
「――それでは、こちらの紹介を始めさせて頂きます」
一度咳払いをして、仕切り直しといった風にシセイの秘書官が声を上げた。
こちら側も同様に、国王から側近、代表者と順に紹介されていく。一人目は大量の物を運べる乗り物の模型を、二人目は物体や風景の像を特別な用紙に記録する機械を、三人目は膨大なエネルギーを蓄積する鉱物を自慢げに話した。
ウルはそれを横目に溜息をつく。機械は魔法と違って、どこがどうすごいのか、という説明が必要不可欠だ。そもそも人前に立つことすら苦手なのに、しかもこんな場所でこんな状況……心底苦痛だった。
「最後に紹介いたしますは、最年少王属設計士であり今や国中に名を馳せる、ウルキラ・コンステッドです」
名前を呼ばれ、席を立つ。やらなければならないのだから仕方がない、さっさと済ませてしまおう。
他の代表者達とは違い、一度お辞儀をしてから話し出す。
「私は今回、仕込み箱を設計しました」
腰に下げている鞄の中から箱を取り出して見せる。手のひらサイズのそれは一見は箱というよりも金属の塊のように見えるだろう。
「金属の骨組みを重ねて箱型にしたもので、完全密封されています。この骨組みに仕掛けがあり、ある一部に連続して衝撃を与えることでしか開きません。 手に取ってご覧になりますか?」
尋ねるとセイファーナの国王は護衛官に合図を送る。それを見てウルはシセイの秘書官に箱を手渡す。その両者が中央に歩み寄り、護衛官が一通り確認した後、箱はセイファーナ側へと渡る。
一人ずつ箱を見ながら、ひそひそと話す声やくすりと笑う声が微かに聞こえてくる。
「設定――箱の大きさや開け方は自由に決められるので、中に入れる物によって用途は多岐にわたります。利点は、開け方が簡単に解らないことと、手から離れた状態でも開けられることです」
こういう雰囲気は慣れているから気にしない。
どうやら箱の中身を取り出す魔法というものがあるらしい……まぁ召喚魔法があるのだからあってもおかしくない。それならばこの箱に価値はないということだろう。
「確かに、魔法ならば箱を開けずに中の物を取り出すのは可能かと思います。今回は魔法対策を施したわけではありませんので。 そこで、変わった使用方法を一つご紹介しておこうと思います」
このまま馬鹿にされて終わると自分の立場が圧倒的に悪くなることは確実。
しょうがなくウルはもう一つ、鞄から箱を取り出した。
「見た目は然程変わりませんが、中身は全く違います。それでは、開けてみましょう」
ウルは平然と、その箱を人のいない壁際へと放り投げる。放物線を描く箱を狙って銃を構え、一発、二発――キンと金属同士のぶつかる音が響き、箱の軌道が少しずれる。
そして三発目の弾が当たった瞬間、箱は光を発して爆発した。内側からの衝撃で、分解しかけた金属の破片が壁や床に突き刺さる。
「このように、空気に触れると爆発する物質を入れておけば爆弾としても使用出来ます」
これならば魔法で取り出した瞬間に命の危険に晒されることになる。
しんと静まり返った場内に、ウルの無感情な声が響いた。
お辞儀をして席に着く。ちくちく痛む胃の辺りを押さえながら、俯いて溜息を押し殺した。流石に少しやりすぎたか、場内が静まり返り視線が自分に集まっているのが解る。
せめて閃光弾にしておけば良かったか、などと考えてももう遅いのだけれど。
「そ、それでは、全員の紹介も済みましたので、本日はここまでといたしましょう」
シセイの秘書官が声を上げ、全員が席を立つ。
王達が再び中央へと歩み、杖と剣を軽く合わせた後に解散となる。協議場を去るのは勿論同時に、だ。
背後で協議場の扉が閉まった瞬間、前を歩いていた男が突然大声で笑い出した。
「っはははは!本当お前って最高だな! 見たかよあのセイファーナの奴等の顔!」
ばしばしと肩を叩かれ、ウルは顔を顰める。
「……失礼だぞ、王の御前で。もうちょっと堪えられんのか」
「す、すいません、あまりに傑作でつい……っくく」
「いいさ。その気持ちは解らなくもない」
そう言って、先頭を歩いていた王は不敵な笑みを浮かべながらこちらを振り向いた。
「皆、今日はご苦労だった。この会議はまだ続く、ゆっくり休んで明日に備えろ」
代表者達にかけられた言葉に、全員がありがとうございますと頭を下げた。
勿論ウルもそうした。その頭上から降ってきた声。
「ウルキラ・コンステッド、あまり派手なことをやらかすなよ」
「――はい」
威圧的な低い声、これは忠告。自分は単に生かされているだけなのだ。捻り潰すことなど容易い、意に沿わないのならば、それは。
顔を上げたとき、王は既に背を向けて歩き出していた。秘書官が残り部屋割りや明日の予定を話している。
鼓動が速かった。
「なーウル、お前この後どーするんだ?」
皆がばらばらと散っていく中、先程笑った者――兄弟子に当たる人物が話しかけてくる。
「貴方には関係ないでしょう」
「相変わらず冷たいねー」
馴れ馴れしく肩に回されようとした手を払う。
「……気安く障るな」
低い声で言ってじろりと睨むと、兄弟子はおどけたように肩を竦めた。
踵を返し自分に割り振られた部屋へと歩き出すと、背後から声がかかる。
「部屋に篭ってるならいっけどさー、変なこと考えんなよー?」
含みを持った声に返事はせず歩き続けた。
「(俺はどうすればいい)」
すっかり夜も更けた。照明も点けないまま、ただ窓辺に腰掛けて月を見上げる。薄暗い部屋で一人、鬱々と思考を巡らせる。
それは今までに何度も問いかけた、答の見つからない問題。
明らかに自分の立場は危険に晒されている。怪しまれているのだ。勿論、自分を守ってくれる者はただ一人としていない。孤独。
いつまで現状を維持できるかすら、既に危ういのでは?
そう考えて頭を振る。それを認めては絶望を受け入れるに等しい。
今日のことを思い出す。初めて見た魔法というものはやはり凄まじかった。不可思議な現象としか言いようのないそれ、自分にも何となく感じられた人の内側から溢れだす力。考えるだけで身体が疼く。知りたい。
この気持ちを殺すことなど到底出来そうにない。
「俺は、どうすればいい」
ぽつりと呟いても答が見つかる筈もなく、ただ静寂が覆う。
「は……」
考えるのに疲れて溜息をつく。ここまで来てしまっては、なるようにしかならない、のかもしれない。
耳を澄ましても、話し声は勿論のこと物音一つない。もう皆寝入ってしまったのだろうか。
……だとしたら都合がいい。
ここはインシグニス、古代遺跡、古の知識が眠る場所。ずっと触れたいと思っていたのだ、この機に見ずに終わるなど有り得ない。
制服から私服に着替えるときに外したホルダーを腰に巻く、そこには愛用の銃が二丁収まったままだ。小さなランプに火を灯し、それだけを持って部屋を出る。
静かな暗闇には扉を閉めるわずかな音さえ大きく響いたように感じる。
周囲に人の気配はない。気取られていなければいいのだけれど。息を殺し、足音をさせないように気をつけながら歩く。見つかったところで何とでも誤魔化せるだろうが、見つからないほうがいいに決まっている。
協議用にと改修されているのは中央のほんの一部。つまりその他の部分は手がつけられないまま放置されているのだ。協議場を囲うように残る巨大な壁には、解読不能な絵や紋様――それが文字なのかどうかも解っていない――が残されているらしい。ほんの数日でその全てを解読できるとは思っていないけれど、見ておきたかった。
それを読み解くように、自分の心にも答が出せたらいいと、思った。
館の外に出るともうすぐそこに目的のものがある。古代から変わらずそこに在る、高く聳える真っ白な壁。館から見えないように、整備された歩道を避け、迷路のように入り組んでいる壁の間を歩く。
しばらくして立ち止まり、一度周囲を確認する。相変わらず静かで何の音もしない。誰に見つかるでもなかったことに胸を撫で下ろした。
そして壁に目を向ける。自分の背の何倍も高い壁にはびっしりと、確かに何かが描かれていた。視線を上へ上へと辿らせると、白い壁と壁の間に黒い空と切り取られた月が見える。この場所はまるで月の光が壁をほのかに光らせているように、柔らかく明るかった。
静かで、どこか荘厳なこの雰囲気が、図書館に似ているなと思う。それはウルにとってとても落ち着く空気だった。壁に描かれているものを見てもやはり意味など一つも解らなかったけれど、自分が満たされているのを感じる。
それから幾分時間が過ぎたのかは分からない。ただ誰かの足音ではっと我に返った。