突然、勢いよくドアが開くけたたましい音と「うわ」という情けない声が聞こえて、思わず鍵盤を叩き損ねて歪な音が鳴った。
心臓がどきどきと速い。反射的に向いたドアのところでは不恰好に転がるクラスメイトが、気まずそうな様子でこちらを見ている。いきなりの展開で頭が働かず、状況が把握できるより早く、そのクラスメイトは勢いよく立ち上がって頭を下げた。
「ごめん! 悪気はなかったんだ!!」
「え、え、ああ? うん」
自分でもよく分からない返事になった。彼と口を利くのはこれが初めてではないだろうか?学年が上がりクラスが変わり、同じクラスになって二ヶ月ほど、明るく気さくな彼と正反対の僕と接点があるわけも無く、会話を交わした覚えはない。
……いや、僕としては多分それ以前の問題だ。
「……お、怒ってる……よな」
「え。いや、別に、そんなことは」
思考に意識を飛ばしていると彼が気まずそうに言ったので、とりあえず否定する。
が、彼は何故だか、ますます落ち込んだようだった。
「ごめん……」
「え? や、だから、別に怒ってないけど」
「……だって不機嫌そうだから」
――悪かったな無愛想で!
「怒ってないよ」
溜息を吐いて立ち上がって、これじゃ説得力がないなと思ったけどまぁどうでもいい。
椅子の横に置いてあった鞄を持つと予想外に彼が声を上げた。
「え、もう帰るの?」
「え、……そうだけど」
まさか何か用事だろうか。そんなはずないと思うけど。だって思い当たる節はないし、彼の行動からしても考え難い。
彼の言葉を待っていると、彼は「うーん」なんて数回繰り返してからぽつりと言った。
「――ピアノが」
「あ、うん……」
「ピアノ、弾かないの? もう」
僕は馬鹿だ。だってそう言われて初めて理解したのだ。
聴かれた! 見られた! ばれた!!
少なくとも僕にとっては重大な失敗だった。だって誰にも、言うつもりも聴かせるつもりもなかったし、それがこんな風にしかも単なるクラスメイトにばれるなんて!
「いつも放課後ここで弾いてるのか?」
羞恥心で混乱している僕に彼は平然と訊く。
「いやっ、今日は、偶然……」
そう、用事で偶然通りがかったら、偶然いつもいる吹奏楽部がいなくて、偶然ピアノの鍵がかかってなくて、偶然気が向いたから。
そんな偶然が今はひたすら呪わしい!
「そう! 俺も偶然通りがかって」
そしてそんなことを心底嬉しそうに言う彼が憎らしい……!
「和久井がピアノ弾けるなんて知らなかった」
当たり前だ。誰にも言ってない。
「それでびっくりして」
僕だってびっくりだ。君が僕の名前を知ってたことに更にびっくりだ。
「邪魔するつもりはなかったんだけど、締め切ってるからよく聴こえなくてつい身を乗り出しすぎて……」
てゆーかそこで何故聴き入る!?
「本当にすげぇ上手かったよ!」
そ……そんなキラキラした目で言われると余計恥ずかしいんですけど!
「和久井すごく楽しそうに弾いてたし、何か俺感動して」
そっ、そこまで言うか!?
「まるで扉一枚隔てて別の世界が広がってるみた――」
「ス、ストップー!!」
僕の突然の制止の大声に、彼はきょとんとした。
「大げさ! 大げさ!! そんな上手くないしっ! 褒めすぎ! てゆーかお世辞? 行き過ぎたお世辞?! 恥ずかしくて死ぬ!」
本当に堪らなくて捲くし立てるように言うと、
「……ぶはっ」
彼は何故だか吹き出した。
「和久井がそんなうろたえるところ初めて見たー!」
「……っ!」
そしてげらげらと笑う。
――これぞまさしく恥の上塗り!
「って……え、あ、ごっ、ごめん! 別に馬鹿にしたわけじゃ……!」
思わず涙腺が緩みそうになって俯いて鞄を抱き締めると、それを敏感に感じ取ったらしい彼は慌てて笑いを止める。
「ほ、本当だぞ!? さっきのだって全然お世辞じゃないし!!」
そしてわたわたと身振りを交えながら必死で話す。
「和久井って何か雰囲気独特で、いつも一人で、なのに話しかけ難くて、だから、普通に照れたりうろたえたりするのが、何か新鮮に思っただけで! だから、だからだなっ……とにかく馬鹿になんかしてないぞ!!」
そこまで力説されると逆に恥ずかしい。
今度は赤面して顔を上げられずにいると、
「……ごめん」
すっかり元気を失くした声が届いた。
「――ピアノ」
「え?」
「聴きたい、の?」
『ピアノ、弾かないの? もう』――彼がそう言ったのを思い出して、尋ねる。
もしかして自意識過剰かもしれない。でも、この照れ隠しが伝わるといい。
ちらりと伺うように視線を上げると、彼は満面の笑顔で答えた。
「うん! 聴きたい!」
その笑顔にひどく安心した自分に気づく。
鞄を下ろして椅子に座ると、彼は駆け寄って僕の隣に立った。
何だか急激に彼との距離が縮んだような気がした。どこか温かい気持ちで鍵盤に指をなぞらせ、ふと――
「――そうだ」
「ん、何?」
これだけは聞いておきたいことを思い出した。
笑顔で尋ねてくれる彼には非常に……本当にすごーく申し訳ないんだけれど。
「あのさ……名前、教えてくれない?」
彼は僕の言葉に笑顔を固まらせ、
「い、今更それを聞くのかーッ!?」
思わず効果音が聞こえてきそうなほどの表情を見せてくれた。