えー、あー、てすてす、てすてす。本日は晴天也。
こんにちは。聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
僕は今日も元気です。まだ見ぬ貴方はどうですか?
無音の言の葉
僕は無数の心の電波を受信する。
――簡単に言えば周囲の人の心の声が聞こえてくるのだ。頭で考えているだけの言葉が、その人は声にしていなくても僕には声になって聞こえてくる。自分の望む・望まないに関わらず、いつでも、どこでも。どうやら僕の受信機にスイッチは付いていないらしい。制御出来ない節操無しの不便な機械は、残念なことにどこに埋まっているのか、取り出しかたが解らない。長年の付き合いになる。
この力に気付いたのはいつだったか。まだ幼かった僕はなかなか苦労をさせられた。人間不信まっしぐら、世界を遮断したくて部屋に閉じ篭っても声は届く。拒絶したくてもしきれない苦痛は、僕を確実に蝕んだ。
――そんな自分がひたすら恐ろしかった。
でも、幸運なことに僕は根が単純で開き直るのもそれなりに早かったし、更に幸運なことに嘘を吐くのが上手かった。壊れたものの修復は簡単ではなかったけれど時間をかけることで確実に物となって、現在の僕はごく普通の家庭のごく普通の学生という、一般的な地位を取り戻した。
この機械、操作は出来ないけれど扱い方のコツはある。様は気に留めなければいい。人込みのざわざわと一緒で、心の声にはよくノイズが混じるし、重なり合う言葉一つ一つを拾うのは意外と難しい。雑踏のBGMが絶えず流れているようなもので、無数の言葉の発信源を特定するのは困難だ。
そうして無数の電波を受け取りながらそれを受け流す日々で、僕はある日ふと思った。
僕の電波を受け取ってくれる人はいるのだろうか?
可能性は低くても零ではないはず。そう結論付けた僕はまだ見ぬ人に電波を飛ばす。
てすてす、てすてす。聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
話をしてみたい。僕と同じ力を持つ貴方と。 会ってみたい。まだ見ぬ貴方に。
そして今日もまた、僕は未だ受け取り手の現れない一方的な送信を開始する。
朝。眠気にふらふらしながら電波を飛ばす。
てすてす、てすてす。本日は晴天也。
おはようございます。聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
今日も変わらず学校です。
同じ制服を着込んだ人波の中を歩いていると、通学路に住みついている野良犬に絡まれました。
『餌クレ餌くれえさー』
動物の声も聞こえるのはちょっと面白いですよね。動物によく懐かれるのは多分そのせいだと思うのです。動物好きなので嬉しい限りですが。
やっぱり貴方もそうなんでしょうか?
授業中。真っ白なテスト用紙を前に電波を飛ばす。
あー、てすてす、てすてす。聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
テストは苦手です。だって周り中みんなからぶつぶつと答を考える声が聞こえるんです。自分の考えがまとまりません!
それに何だかカンニングっぽい……。
貴方は今何をしているんだろう? 同じように授業を受けているのだろうか? それとも必死に働いているのだろうか?
ってスイマセン、そろそろ真面目に解かないとまずいのでこの辺で。
放課後。日誌を持って職員室に向かいながら電波を飛ばす。
えー、あー、てすてす、てすてす。聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
今日は友人が日直だったのですが、用事があったようなので代わってあげました。
感謝されるのは嬉しいですが、ちょっと複雑です。
「お前ってよく気がつくよな!」
なんて言われても、それは声が聞こえているからで、そう褒められるにはずるいと思うのです。
だからって放っておくのは嫌だから、つい声をかけてしまうのですが。
貴方はどう思いますか?
学校帰り。人込みの中を一人で歩きながら電波を飛ばす。
えー、あー、てすてす、てすてす。聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
人込みは嫌いです。だってやっぱり怖いから。
本当の声と心の声が混ざって煩くてぐらぐらする。聞きたくもない厭な言葉を、心の中に押し込めて、今ここに居る誰かが――
――あ、駄目だ、そんなこと考えてたら気持ち悪くなってきた。
えー、ごほん。てすてす、聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
貴方はどんな思いで人込みを歩いているんでしょう?
夜。部屋で一人空を見上げながら電波を飛ばす。
てすてす、てすてす。
こんばんは。聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
夜は好きです。だって心の声が少ないから。静かで落ち着きませんか?
それにね、眠っている人の声は言葉に成り切れない声がひっそりとひしめき合って、まるで海の波音のようだと思うんです。
貴方もこの空を同じように見上げているのでしょうか?
特別な日。幸せな喧騒の中で電波を飛ばす。
えー、てすてす、聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
今日は僕の誕生日です。
都合よく日曜日だったので友人達が集まって祝ってくれました。
「皆様のおかげで今年もまた一つ、無事に齢を重ねることが出来ました」
って挨拶したら、「幾つだよお前は!」と怒られてしまいました。掴みはおっけーです。
――でも本当にそう思うんです。こうして普通に歳を取れて、大切な人がいて祝ってもらえて、ああ何て幸せなことなんだろうと。
貴方は一人ではないですか?
貴方も幸せであることを、僕は願わずにいられない。
えー、あー、てすてす、てすてす。本日も晴天也。
こんにちは。聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
僕は今日も元気です。まだ見ぬ貴方はどうですか?
こうして電波を飛ばすのもすっかり日常と化しました。そのせいか、よく注意力散漫とかぼーっとしてるとか言われてしまいます。
でも僕は貴方のことが気にかかって仕方がないのです。まるで幻想に恋する乙女のようで、馬鹿だなと、自分でも思うのですが。
ああでも、どうしても貴方の存在を知りたい。僕と同じ力を持つ貴方に会いたい。
僕一人ではないのだと。僕は一人ではないのだと。貴方に一人ではないのだ、と。
早く、早く、一時でも早く――……
――僕の電波を受け取って――。
休日。噴水に腰掛けて友人を待ちながら電波を飛ばす。
えー、あー、てすてす、てすてす。聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
人込みは好きじゃないけれど、よく出かけます。だって貴方に会えるかもしれない。家に篭っているより余程確率が高いでしょう?
今日は電車で動物園に行くんです。友人にはかなり嫌がられましたが、そこはまぁ日直の仕事を変わってあげた恩があるので。
貴方は今どこに居るんだろう。
広い世界を思うと到底会えないような気がしてくるけれど、ううん、僕は諦めません!
てすてす、てすてす。聞こえますか? 聞こえたら応答願います。
僕はここに居ます。 まだ見ぬ貴方は今、どこに居ますか?
ざわざわと限りないノイズが走る音の波に耳を澄まして、どうか貴方の声が拾えますようにと願う。思いが強いほどしっかりと鳴る心の声。どうか届きますように。僕の声が貴方へ、貴方の声が僕へ――――
『――…………ぃ――』
――あれ?何だろう。今何か、聞こえた気がした。
『――こちら“まだ見ぬ貴方”。“見知らぬ君”へ、応答願います』
「!!」
反射的に立ち上がる。きょろきょろと辺りを見渡して、ああでも、分からない。これだけじゃ見つけられない!
確かに挙動不審か、訝しげに見られたけれどそんなこと気にしない。
『うわ――れけっこう恥ず――勘違い――どうし――』
ノイズが混じる。
待って、嫌だ、もう一度呼んで!
『――こちら“まだ見ぬ貴方”。“見知らぬ君”へ、応答願います――』
『――ねぇ、今、話かけなかった?』
気づいたらもう走り出していた。人込みを掻き分けて、迷惑なんて構っていられない。
近くにいる。ずっと探していた人が近くに居る!!
どこ!? どこに居るの!?
『駅前の歩道橋――』
歩道橋!さっき通り過ぎた!!
慌てて引き返そうとして人にぶつかった。「すいません」とだけ言い捨てて歩道橋に走る。階段を駆け上るとかなり息が切れた。
歩道橋の上も人が多い。誰?誰がそうなの?そこに居る人々を凝視して――
――殆どが歩いているその中に、じっと立ち止まって僕を見つめる人。
この人? この人がそう?
確信が持てないままゆっくり近づく。何て話かければいい?
『――“見知らぬ君”の、名前は?』
な、名前、名前は、はる。春――季節の、春。
「……初めまして、春」
「――ッ!」
目の前のその人が、微笑んで名前を呼んだ。
視界が滲むのを止められなかった。
ああ、やっと繋がった――僕らの受信機はこれでもう、一方通行はおしまい。