『足りないものを補おう、この言葉で』

 俺には幼馴染が一人、いる。
 そいつの名前はイズハ。出会ったのは物心が付く頃、だったけど、そいつはその時既にいろんな意味で特別な人間だった。
 奇跡の神童なんて大層な名を馳せるほどの天才で、子供の頃から大人に交じって研究開発に携わり。
 そのくせ、暗くて鈍臭くてキノコが生えるんじゃないかと思うほどウジウジと消極的な性格で、子供の世界では生きていけないイジメられっ子。
 俺は何だかいろいろ我慢ならなくて、何だかんだと関わるようになり――おかげでいろいろとしなくてもいい苦労を背負う羽目になったような気がする。
 それでも結局こいつとの関係をもう二十年ほど続けているのだから、俺もどうかしている――これが性分なのだともう諦めたが。
 俺の教育の成果もあって、イズハの性格は随分マシになったと思う。それに加え、成長するにつれて尋常ではない実績を叩きだしたイズハの立場は上々だったのだ。
 少なくとも何年かは。

 三日ぶりにイズハの家を訪れると、やっぱりと言おうか、イズハは本当に思い詰めた青い顔をしていて俺が部屋に入ったことにすら気付かない。
 会う度にやつれているような気がするのは多分気の所為でもないだろう。こいつは俺が来ないとまともに食事も睡眠もとりゃしねー。もともと一つのことに集中したら周りが見えなくなるヤツだったけど、でも今はもうそんなレベルじゃない。
 放っておいたら本当に取り返しのつかないことになりそうで怖い。
 イズハが魔法なんて夢を本気で語り出したのは大分前、まだ学校に通ってる頃だ。そしてそれを世間に発表したのが数年前。
 気の遠くなるほど昔には確かに存在したと言われるけれど、それはもう神話とかの空想レベルで、現在にそれを実現させようというヤツなんかいない。いなかった。
 ――イズハ以外は。
 こいつは歩いている場所が一人だけあまりに高すぎて、誰も付いていけないんだ。何が見えているのか誰にも理解出来ない。
 勿論俺にだって解らない。そもそも並以下の頭しかないんだから論外だ。一欠片も理解できない論理だけど、イズハがあまりに楽しそうに話すから、別にいいやと思っただけで。
 でも世間はそうではなく、それなりの立場にあったこいつは出来に対する妬みにもともと嫌われる性質が相まって、それはもうかなり酷いバッシングを受けた。聞くに堪えないくらい、酷い、ことを。
 平然とやってしまえるのだ、人という生き物は。
 イズハは周りの全てを敵に回してそれでも、初めは生き生きと楽しそうに研究をしていたのだ。
 こんな風に追い詰められたのはいつからだっただろう。最近なんて特に酷くて、今にも壊れてしまいそうだと思う。
 だからこんな姿を見ると、俺は弱音なんて吐けなくなる。大丈夫なのかと問われると正直大丈夫ではないけれど、でもきっとイズハよりマシなんだろう。
 だって俺は壊れたりなんてしそうにない。
「……」
「……」
 二人で向き合っていても特別何か話すでもない。でもそれだけで何故か安心出来るのだから不思議だ。
 いや、あれだけ他人から悪意を向けられればそれも当然かもしれない。イズハは俺に悪い感情を向けてこないのだ。それだけでも余程楽だろう。
 あれだけ張り詰めていた緊張感を緩めてくれるのは正直嬉しい。
 黙々と差し入れを食べるイズハを眺める。どうせ今だっていろいろ考えているんだろう、目が虚ろだ。
 どうせ、俺には到底解らないことばかり考えてるんだろ? 俺が眺めていることなんて気にもせずに――、
「――何か言って欲しいのか?」
 虚ろだったイズハの目が不意に曇った気がしてそう言うと、イズハが驚いたように俺を見た。どうやら当たりらしい。
 でも俺はこういうのって苦手なんだ。いったい何を言えばいいのかよく解らない。
「お前はそのままでいい」
 少し思案したあと、とりあえずそう言う。
 こんな言葉でこいつを楽にしてやれるんだろうか。自信はいつだってないのだけど。
「俺が太鼓判押してやるから好きなだけ好きなことしてろ。自分の信念を貫いて研究に没頭してるお前はカッコイイぞ」
 俺とは違うイズハ。
 それは嘘の言葉ではない。
 でも純粋で綺麗な言葉でもない。
 ――俺はイズハみたく本当に綺麗な言葉を吐けはしないのだ。
「っておい!何で泣くよ!?」
「泣いてない」
「いや、そりゃ――」
 確かに泣いてはいない。でもそれは"まだ"が付くだけで、今にも泣きそうな顔をしているじゃないか!それはもう辛そうに顔を歪ませて。
 そんなになるようなことを言ったのか、俺は?! いいや断じて言ってない!!
「――俺」
 内心かなり動揺している俺に、イズハはぽつりと言う。
「アルアの為に何かしてやりたいよ」

 今度は俺が表情を歪ませる番だった。
「――っだから、何だってお前はそう……!」

『俺、すごく嬉しいんだ、アルアが傍に居てくれて』
 それはもう大分前の話、まだ学生だった頃だ。
 イズハが顔を真っ赤にしてそれでも真剣な目で真っ直ぐ俺を見るから、何事だと思いながら黙って話を聞いたんだ。
 そしたらこいつは、それはもう恥ずかしいことをつらつらと口にした。本人だってそれなりに自覚はあるのだろう偉く恥ずかしそうだったのに、それでも面と向かって言い切ったのだ。
 もし本当に綺麗な友情が在るとして、例えば大きな困難を乗り越えたときに、夕日の下で告白するような、そんな馬鹿馬鹿しい作り話でしか出てこないようなことを。
 この俺に向かって。
 俺は思わず顔が歪むくらい感情が錯綜して。
 それはもう居た堪れなくなって。
 だって俺はそんなに綺麗な人間じゃないんだ。お前がそんな風に言う価値のない人間なんだ。
『そんなに綺麗な人間じゃないぞ、俺は』
 だから俺は思わず本音を零したのだ。
 表情からは想像も付かないくらい内心それはそれは動揺しまくって、普通面と向かって言わないだろう暴言を吐いた。
 魔法なんて信じていないとか、お前は馬鹿だとか、救いようがないとか、面倒とか腐ってるとかイライラするとかキノコだとか、それ以上ないくらい散々言った気がする。
 それのどこがどうツボに入ったのか。
 イズハは笑った。爆笑したのだ。腹を抱えてゲラゲラと笑う姿を見たのはこれが最初で最後だ。
 そうして笑いながら、訳が解らない俺にイズハが言ったのだ。
『やっぱり最高だなお前は! 普通言う?! そんなに堂々と!』
『そんなこと気にしなくっていいのに。だって俺』
『そういうアルアが好きなんだから』

「――俺はイズハの為に何かしてやりたいよ」

「本当にお前の為になれる人間になりたいよッ」
 俺は何一つしてやれないのに。
 理解してやることも守ってやることも、信じてやることすら出来ないのに。

 今、例えこの瞬間だけでも、心から願うから。
 もし魔法なんて不可思議ですごい力が存在して、何でも願いが叶うというなら、
 何を犠牲にしてもいいからこいつを救ってやってよ――。